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About Villeroy & Boch

ビレロイ&ボッホは生活全般を彩ることが出来る、
ダイニング&ライフスタイルブランドです。
食器だけでなく、グラスウェア、カトラリー、
テーブルアクセサリーと幅広い品揃えで、
食卓だけに留まらないトータル・コーディネ―トを提案いたします。

270余年の歴史を誇りながらも伝統に甘んじることなく、型にとらわれない自由な発想で常に時代をリードしてきました。「食器は飾るためのものではなく、日々の生活を彩るもの」というビジョンのもと生み出される高品質のホームウェアは、各ご家庭の食卓のみならず、世界各国の高級ホテルや、レストランでもご採用いただいております。
今ではヨーロッパで最も歴史ある陶磁器ブランドのひとつとして、日々の暮らしをプレミアムに彩り続けています。

History

ドイツの技術とフランスの感性が融合したダイニング&ライフスタイルブランド。創業から270年余を数え、世界で最も歴史ある陶磁器メーカーの一つとして、発展を遂げています。
ドイツのすぐれたテクノロジーとフランスの繊細なファッションセンスの融合。そこから生まれる名作の数々は、世界中の多くの人々を魅了しつづけています。

そんなビレロイ&ボッホの歴史をご紹介します。

1748

創業

後期バロック時代、ドイツ人フランソワ・ボッホはヨーロッパ中心部の自治国家ロレーヌ公国 オーダン・ル・ティッシュにおいて、「手に取りやすい価格で高品質な陶磁器を作る」というビジョンを掲げ、陶製テーブルウェアの製造を開始。
持ち前の器用さですぐに技術を身に着け、3人の息子(ジャン・フランソワ、ドミニク、ピエール・ジェセフ)と6人の職人と共に、陶磁器製作所を設立します。

オーダン・ル・ティッシュの土は鉄分を多く含み茶色い陶器しか作れなかったため、当時貴重品として人気のあった白い陶磁器制作のため隣国のルクセンブルクから原料の土を輸入していました。

1767

ルクセンブルグの
セットフォンテーヌに
陶磁器工場設立

ロレーヌがフランス領となり、様々な特権が適応されなくなったため、ボッホの3人の息子たちはオーストリア領ルクセンブルク市郊外のセットフォンテーヌに新しい陶磁器工場設立。
時の女帝、ハプスブルグ家 マリア・テレジアの庇護を受け、課税や地代免除などの特権を得てビジネスの規模を拡大し、「王室御用達」 (Manufacture Imperiale et Royale)として王室の紋章を付することを許可されます。

現在まで続く最も歴史ある柄「オールド ルクセンブルク」の原型となる「ブランディーユ」はその当時にデザインされ、今でも愛されています。

困難を乗り越えて、
更なる成長を

順調に見えた事業ですが、時代はヨーロッパ全体が不穏な空気に包まれていた激動の時代。
ボッホたちの会社もフランス革命の煽りを受け、かのナポレオン軍の進撃により一旦は解体を余儀なくされます。
しかしその後、ボッホの一番若い息子 ピエール・ジョセフ・ボッホにより、会社は再建。
優秀な実業家でもあった彼は、製造が難しく経費もかかる磁器の製作だけではなく、高品質な陶器でのより大衆向けで有益なビジネスに目を向けます。

1791

ニコラ・ビレロイが陶磁器工場設立

一方その頃、20歳以上年上のもう一人の創立者であるニコラ・ビレロイは、ザール河沿いの町、ヴァラーファンゲンに陶磁器工場設立します。
彼はその土地に運ばれてくる石炭と、ザール川の豊富な水を求めて、その地にやってきていました。

当時すでに成功したビジネスマンだった彼は、産業革命 発祥の国イギリスから優秀な職人を招き入れ、銅版印刷の成功や燃料としての石炭の使用など、生産工程の工業化に尽力しました。

1809

ベネディクト寺院(現本社)
買取

ボッホ家は、ドイツ ザール河沿いのメトラーにある寺院を買い取り、近代的な陶磁器工場へと造りかえます。
世界で初めて水力ろくろを導入し、効率化のみならず森林の保護を考慮し窯の火入れに石炭を使用するなど、工業生産の時代にふさわしく機械化による生産工程を確立させます。
1812年には、そこで働く職人たちにより「アントニウス組合」が結成。
この組合は、その後のドイツ宰相ビスマルクがドイツ初の福利厚生法を定めた際のモデルにもなり、そのことによりボッホ家には貴族の爵位も与えられました。

1836

ビレロイ家とボッホ家が合併、
ビレロイ & ボッホ社 設立

競争が激化するヨーロッパの陶磁器市場において確固たる地位を築くため、ジャン・フランソワ・ボッホとニコラ・ビレロイは各々が所有していた3つの工場(メトラー、セットフォンテーヌ、ヴァラーファンゲン)を合併し、ここにビレロイ&ボッホ社が設立されます。
ボッホ家はどちらかというと職人肌。技術の革新や新商品のアイディアを出していきます。そしてビレロイ家はよりビジネス的な観点から利益の追求やプロの人材を確保する、というお互いに補いあうようなビジネス観の違いがあったようです。

その後ヨーロッパ大陸で初めて、青色銅版印刷や彩色石版印刷、1850年にはボーンチャイナを導入(1825年まですべての陶磁器は手描きでした)。

1842

恋に落ちた二人が強くした二つの家族の絆

合併の話が進む中、ジャン・フランソワ・ボッホの息子 ユージン・ボッホと、ニコラ・ビレロイの孫娘オクタビー・ビレロイが出会います。 自然と恋に落ちた二人はやがて結婚。金婚式を迎えるほど長く、仲むつまじく暮らしたようです。 この二人の結婚によって、ボッホ家とビレロイ家は公私共にパートナーに。二つの家族の絆は更に強くなり、今も続くビレロイ&ボッホの礎が築かれました。

1879

メルツィヒにタイル工場設立

「メトラータイル」に各国から注文が殺到したため、ザール河沿いのメルツィヒにもうひとつのタイル工場を設立。 その後世界最大のタイル工場となり、その製品は世界遺産に登録されているケルン大聖堂や、タイタニック号の高級船室の浴室タイルにも採用されています。

1887

装飾品及び衛生陶器に本格参入

ヴィルヘルモ一世とその息子(後のフリードリッヒ三世)用に、翌年には“白鳥王”として知られるルードヴィッヒ二世のために製造したことをきっかけに、競合他社に先駆け大幅に衛生陶器部門の業務拡大を行いました。 これにより、ビレロイ&ボッホの創造性が広く市場に認められるところとなります。

1900

アーティストによるデザイン参加

ビレロイ&ボッホはユーゲント・シュティール(ドイツ語のアール・ヌーヴォー)のアーティストたちと積極的にコラボレーション。彼らの自由な発想は商品のシェイプや絵柄に活き活きと映し出されました。

この頃から陶磁器製造工場で衛生陶器の大規模な生産が開始され、一般大衆に浴室用の陶器が行き渡るようになります。

1976

ボーンチャイナ ・ メーカー<ハインリッヒ> 吸収合併

ドイツ・ゼルブ地方は陶磁器産業の中心地として名を馳せていた最大規模の高質陶磁器製造会社<ハインリッヒ>を吸収することにより、高品質の商品生産の幅が拡大されます。 これを皮切りに、1986年には陶磁器メーカー<ガロ・デザイン>を、また1989年にはシルバーウェア・メーカーの<コック&バーグフェルド>を吸収することにより、現在のダイニング&ライフスタイル部門の基盤ができあがりました。

1998

「ハウス オブ
ビレロイ&ボッホ」発表

創業250周年の記念すべき年に、トータル・ライフスタイルコンセプトを発表。
ライフスタイルブランドとして「ハウス オブ ビレロイ&ボッホ」と呼ばれる直営店を世界各国にオープンしました。

2001

メトロポリタン
コレクション発表

21世紀のライフスタイルを象徴する、シンプルでモダン、マルチな使い方ができるメトロポリタン コレクションを発表。 料理の国籍を問わず、インテリアとしてもスタイリッシュなアイテムを発信することで、 食器メーカーに留まることなく、ホームウェア・ブランドとしてのトレンドリーダーの地位を不動のものとしました。

2004

ニューウェイブ カフェがドイツ産業技術革新賞を受賞

ビレロイ&ボッホの高い技術職と、いつの時代も最先端を走り続けてきたブランドの精神が生み出した「ニューウェイブ カフェ」。他に類を見ない優れたデザインと機能性の高さで、ドイツ産業技術革新賞を受賞しています。

2008

マニファクチャー
コレクション 発表

「クラフトマンシップ(熟練の職人技)」というコンセプトのもと誕生した「マニファクチャー」コレクション。和食器のテイストが人気を博す昨今、 “テクスチャーリッチ”を実現。目で見るだけでなく、つい触りたくなるようなその質感もお楽しみのひとつです。和と洋の垣根を越えたグローバルさと完成度の高さで、世界で最も人気のシリーズとなりました。

2019

イッツマイマッチ
コレクション 発表

初めて食器を選ぶ方へ、最初に手を携えるパートナーがビレロイ&ボッホであることを願って生まれた「イッツ マイ ラブ」コレクション。食器を越えた食器という新発想で、手のぬくもりが伝わるやわらかな表面や、ミニマムな生活に対応出来る利便性の高さが若い方に人気の秘訣です。ダイニングを越えて、日々の生活に寄り添うというコンセプトのもと、すべてが新しい画期的なシリーズが誕生しました。

いつの時代も、
最新のトレンドを作り出す

それこそがビレロイ&ボッホのDNAであり、
時代を超えて培われたノウハウで成功を収めてきました。

270年、そしてその先へ
革新の歴史は受け継がれていきます。